インタビュー「ピアノとわたし」(3)

高久新吾先生

プロフィール

高久新吾先生の写真

ピアニスト、美作大学生活科学部児童学科教授。
愛知県立芸術大学音楽学部器楽専攻(ピアノ)
静岡大学教育学研究科音楽教育学修士課程修了。
CD「高久新吾・ベートーヴェン三大ソナタとエリーゼのために」「高久新吾 ベートーヴェン・ハンマークラヴィーア 他」をリリース。

インタビュー

―今日は、遠いところをありがとうございます。

私は、鉄道や旅が好きでして、昨日も鉄道仲間の誘いで、静岡鉄道駿遠線の廃線跡を歩いてきました。その前に日本ではただ一つになってしまった浜松のピアノハンマー製造会社「今出川ハンマー製作所」に行って参りました。私がお世話になっている調律師でピアノ指導者の服部夏香さんより、そこの社長さんを紹介されまして。

―ハンマーヘッドをお持ちくださったのですね。触ってもいいですか?フェルトって結構硬いですね。

ハンマーヘッド

ハンマーヘッド

工場では、フェルトを機械で切らせてもらいました。残ったフェルトももらってきたのですが、このフェルトの部分が弦に触れて音が出るのですから、このイメージは大切です。最初、フェルトは台形なんですが、それを機械で圧縮し整形して、このようなハンマーヘッドの形になるわけです。弦に当たる部分に丸味があるのが本来ですが、それがへたってしまったり、最初から平らになっているようなピアノもあります。

―フェルトに針を刺して音を柔らかくするという話も聞いたことがあります。

そうですね。なかなか微妙な作業ですが、そうしたことが音色を作るのですね。
ベートーヴェンの時代のピアノフォルテは、このハンマーの部分はフェルト=羊ではなくて、鹿皮だったんですよ。

―そうなんですか。鹿皮ですか。イメージが持てませんが。

フェルトとは違いますね。ともあれ、楽器の中に動物性のものが使われているわけです。フェルトは羊。ヴァイオリンの弓は馬の尻尾。

―先生の演奏の動画をいくつか視聴させて頂いたのですが、姿勢、腕の使い方や指の使い方に無理がなくて、なるほど、こういう風に弾いたら美しい音になるな、という、そういうお手本のように思いました。昔日のピアノ巨匠の佇まいを感じます。

ありがとうございます。いかに無駄な動きをしないで弾くかというのは、私の永遠の課題です。特に指使いの研究は演奏に直結するので,特にレッスン指導する際には真っ先に指摘する内容です。人間の指はピアノを弾くことに関して非常に不利な配置です。旋律を担当する指ほど細く短く(右手),音楽のリズムを刻むベースを担当する指ほど細く短い(左手)のです。そして一番目立ってはいけない内声ほど太く強い(親指人差し指)ので,ピアノ演奏には不利なのです。そのせいで我々は小指薬指の特訓を余儀なく強いられるわけです。右手と左手の配置が逆なら苦労しなくても済むとよく思ったものです。

―先生は、浜松のアクトシティが完成した際、ピアノの選定を任されたとのことですね。

当時、河合の工場に出入りして、技術者や調律師にあれこれ意見したりしていましたから。4台の河合のフルコンサートグランドがありまして、それを弾き比べ、選定の任を負わされたのです。あのホールで最初にピアノを演奏したのは私ということになります。

―先生の選定されたピアノを浜松国際ピアノコンクールのコンテスタントたちも弾いていると考えると、感慨深いです。きっと先生のピアノの音に対する感受性を見込まれてのことだったのでしょう。

ところで、先生がそこまでピアノのメカニズムや調律について詳しくなられたのはなぜなのでしょうか。ピアノの音色にこだわりがあるとは言っても、メカニズムを知悉するというところまではなかなか行かないように思うのですが。

それは、ピアノを専門にしていますと試験やコンクールの前など1日8時間くらいは弾くわけです。そうすると、弦が結構な頻度で切れます。そうしますと、張り替えなくてはならないんですが、それで一々調律師を頼んでいますと、お金も時間もかかります。自分で弦を買ってきて張り替えた方がいいんです。

―私も一度だけ、弦が切れるという状況に遭遇したことがありますが、それは大学のピアノ・サークルの部屋に置かれていた皆がガンガン弾いている古いピアノでした。自分で練習していて切れた、ということは一度もないです。

弦が切れるというのは特別なことではなくて、私は先生から弦が切れるくらい弾いてください、弦が切れるまで練習して下さいって言われていました。だから、日常茶飯事でピアノの中を覗き込むことになるわけですが、そうするとピアノの部品や構造が色々と気になってくるわけです。私は、色々注文つけますから。一度は技術者と喧嘩になったこともあります。私も若かったですからね(笑)。ピアノのハンマーヘッドを取り替えるというので、「膠でお願いします」と頼んだんです。修理の終わったピアノが戻ってきてみると、ボンドで張り合わせてあったんですよ。それで「膠と言ったじゃないですか、違うじゃないですか」って怒鳴り込みましたよ。そしたら、「膠はないんですよ。今はボンドで接着するんです」との答えで。ボンドは化学物質です。膠は自然のものですから呼吸するわけですよね。だからいいんです。ピアノの部品の多くが木でできている。接着剤だって自然のものの方が絶対にいいんです。私はそう考えています。

―そうなんですね。実はヤマハピアノの接着技術の方からお話を伺ったことがあって、接着剤としては膠が理想で、昔は膠を実際使っていたと。今は、膠にどれだけ劣らない接着剤を開発するかが課題です、とのことでした。結局、自然の生み出したものを超えることはできないということなのでしょうか。量産体制には膠は追いつかないということなのでしょうけれども、考えさせられますね。

ピアノも基本は自然物なのです。天然の木材を使用していたハンマーの一部に、新素材を使用する、という方針が会社で立てられて、その方針に納得が行かずに会社を辞めた、という技術者を何人か知っています。

―先生は、ピアノ協奏曲も演奏なさっていますね。

協奏曲を弾くのは、色々な条件が揃わないと難しいですけれど。まず、1994年に、竜洋町(現・磐田市)でベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」を弾きました。それから、2001年にルーマニア国立トゥルグムレシュ交響楽団とブラームスのピアノ協奏曲第1番を演奏しました。協奏曲を弾くというのは、ものすごいプレッシャーですよ。弦楽器の奏者や指揮者に囲まれていますからね。ルーマニアのオーケストラと共演することになった時は、せっかくだからたっぷりと長い、ずっしりとした曲を弾きたいと思いましたので、ブラームスの1番を選びました。50分弱かかります。

―先生は、アメリカのピアニストとも交流があると聞きました。

はい、この2月にもフロリダ州の大学に勤めるピアニストの友人ショーン・ケナード(Sean Kennard)を訪ねてきました。たくさんのピアノ・コンクール入賞歴があります。お母さんが日本人です。彼とは浜松国際ピアノコンクールのレセプションで知り合って、コンクールで弾くピアノと同じモデルのピアノがある自宅のスタジオに招きました。とてもピアノを気に入ってくれて、惜しくも落選した後でもうちに一週間くらいホームステイしてくれたんです。それからの縁です。

―ご自宅には素晴らしい音楽室があって、素晴らしい楽器が置かれているのですね。先生のCD「ベートーヴェン三大ソナタとエリーゼのために」は、ご自宅で録音なさったとのことですね。CD解説書に、先生の音楽室の写真が掲載されていて、そのゴージャスさに驚きました。

高久先生のCDカバー 「ベートーヴェン:ハンマークラヴィーア」(2008年)(左)と、「ベートーヴェン三大ソナタとエリーゼのために」(2015年)(右)

高久先生のCDカバー 「ベートーヴェン:ハンマークラヴィーア」(2008年)(左)と、「ベートーヴェン三大ソナタとエリーゼのために」(2015年)(右)

高久先生のCDのライナーノーツより。先生のご自宅の音楽室

高久先生のCDのライナーノーツより。先生のご自宅の音楽室

音楽室は35畳の地下室になっていまして、そこにスタインウェイのコンサートグランドなどグランドピアノ3台とチャーチオルガンなどを置いています。半分くらいは何も置いていなくて、そこで宴会が楽しめるようにしてあります(笑)。

―素晴らしいですね。本当に羨ましいです。お子さんたちも音楽を学ばれたのですか?

私は音楽を学んでもいいけれど、生業にはするな、と言って育ててきました。二人の子供たちはその通り、音楽の道は選びませんでしたが、長男は音楽に関心を持って、あれを聴いたよ、これを聴いたよ、と教えてくれます。長男を連れてハンブルクにあるスタインウェイの工場を訪ねたのも良い思い出です。見学は1日1件と限られていましたが、予約を入れまして1年待ちました。

―この春に浜松学院大学から美作大学に移られたのですね。

はい、美作大学に来まして、音楽に関連する授業が増えました。児童学科の学生さんにピアノを弾きますと、とても反応が良いです。音楽の演奏には、すべてのことが関わってきます。例えば,演奏する体づくりは体育,歌詞なら国語・外国語、読譜は算数,音楽の歴史なら社会,楽器の仕組みは理科・科学といった具合です。

演奏し教育し研究することが喜びです。「ピアノとウェルビーイング研究所」でのコラボレーションを楽しみにしております。

(聞き手・安永愛)