インタビュー「ピアノとわたし」(10)

佐久間哲哉先生

プロフィール

佐久間哲哉の写真

東京大学大学院工学系研究科・教授
専門分野は環境音響学、建築音響学、騒音制御工学。

インタビュー

―先生のご専門は環境音響学とのことで、ピアノを弾かれることと何かつながっているのではないかと思ったのですが、まずは、ピアノとの出会いからお聞かせいただけますか?

僕は、大阪の泉南市の生まれで、家にカワイのアップライトピアノがあり、3歳からピアノを習い始めました。これは4歳の頃のピアノ発表会の写真です。その後、数人の先生につきましたが、習っていたのは小学校の間まで。その頃は演奏会やちょっとしたコンクールみたいなのに出たりしていました。

こどもの頃からマニアックというか、色々ものを集めたりするのが好きで、誕生日のたびごとに楽譜を買ってもらっていました。レッスンではショパンなんてワルツくらいしか弾かせてもらえなかったのですが、とにかくショパンの楽譜を集めていました。珍しくケンプの弾くショパンのレコードが家にあって、特に「舟歌」や「子守唄」がお気に入りで、レッスンとは別にひそかに譜読みをしたりしていました。

4歳のピアノ発表会

4歳のピアノ発表会

中学校から鹿児島の寮生活で、もうピアノは習っていなかったのですが、学校の音楽室が充実していました。アップライトのある練習室や室内楽ができるグランドのある広い部屋もあり、そこによく籠っていました。授業中にエアチェックもよくしていました(笑)。屋上にラジカセを置いて休み時間に録音ボタンを押しておき、夜、それを聴いたりしていました。ホロヴィッツの来日公演もエアチェックで聴きましたね。

実家では妹がピアノを本格的に習い始め、桐朋のピアノ科に進んだのですが、おかげでヤマハのグランドも入り、夏休みや春休みは実家でピアノばかり弾いていました。妹の練習からも刺激を受けましたが、僕が東大のピアノの会に入ってからは、妹に与える刺激の方が大きかったのではと思います(笑)。

―東大に入学する前から、ピアノのサークルに入ろうと思われていたのですか?

そうですね、入学式より前にピアノのサークルの部屋にどんなところか覗きに行き、そのまま入会しました。部屋は古くておどろおどろしい寮の建物の一角にあって、グランドが2台入っていましたが、二人が同時に別の曲を練習するという過酷な環境でした。

―佐久間先生は、大学に入学された時から、かなりのレパートリーを持っていらっしゃったという印象です。

学部の頃は、スクリャービン、ラフマニノフなどロシアものと、ラヴェル、プーランクなどフランスものをよく弾いていましたね。サークル部屋に珍しい楽譜もたくさんあったので、リストやゴドフスキーなど編曲ものもよく弾きました。

―とにかく大学入学時までの蓄積がすごいな、と思っていたので、中高と寮生活で自分のピアノがない中で練習なさっていたというのは意外でした。

そうはいっても、東京に出てきて大学に入ってからの刺激が殆どです。あまりに色んな知識を大学のピアノの会で与えられましたので。

―なんだか、自分のレベルより、ちょっと上のものを弾かなきゃ気が済まないみたいに、どんと行く、そういう感じが会員の皆にあった気がします。

そもそも自分のレベルをあまり意識せず、弾きたいものをとにかく弾く。実際、まわりの皆がお互いに刺激を与えあって、その中でテクニックも表現も磨かれていった気がします。

―大学2年生の時に専攻をする学科を決めるわけですよね。建築学科に進学された頃は、どのようなビジョンを持たれていましたか。

当時は、あまり音楽とは関係なく、理系だと建築学科は意匠やデザインなど芸術とも関係しているので、クリエイティヴなことに関われると思って入りました。ただ、建築学科に入るとデザインにはすごい人がいっぱいいて、そういう人たちにはとてもかなわないと感じました。自分は数学や物理が得意でしたので、卒論の研究室選びで最初は建築構造の分野を考えましたが、そこで音響という分野があるのを知って、これは人間の感性にも音楽にも関係があるし、ホール音響の研究もできるというし、これだ、と思いました。

自動演奏ピアノと残響付加装置を用いた音響実験

自動演奏ピアノと残響付加装置を用いた音響実験

―ピアノの会の演奏会もコンスタントに出ていらっしゃったと記憶しています。

博士の3年まで9年間、ほとんど出ていました(笑)。今思えば、学生時代は本当に勢いで過ごしていましたので、たった2ヶ月練習して演奏会に出ることもありました。人生で最も刺激を受けた時代で、そこで先輩後輩の垣根を越えて、たくさんの素晴らしい仲間と出会いました。その人たちは社会人になってからもピアノをずっと続けていて、今でもアマチュア仲間の演奏会でご一緒しています。

僕も〈Piano Perspectives〉というピアノの演奏会を企画していて、毎回いろいろなテーマを決めて十数人で集まって開くのですが、二十数年も続いています。30代の頃は、皆さんやっぱり仕事や家庭の状況でなかなかピアノの時間が作りにくかったようですが、40代半ばからまた本格的にピアノに取り組む人が増えてきます。まわりにはアマコンに出場して受賞される方もたくさんいますね。

演奏会のテーマは様々です。初回はモンポウの「歌と踊り」の全曲演奏会、その後は、地域・時代・音楽形式・表現対象など、切り口を見つけてきました。「花鳥風月」、「文化の十字路」、「幽玄夢幻の調べ」などの印象的なのもあれば、「繰り返す音の彼方へ」では同音連打の曲を集めたり。一番最近では、保存修理が完了した上野の旧奏楽堂で「日本洋琴音楽の系譜」というテーマで開きました。ちなみに、旧奏楽堂は日本最古の木造ホールですが、学生時代から三十年間、16回も出演していて、東北の地震後には保存修理の委員も務めたり、僕にとってはホームグラウンドのようなところです。

旧奏楽堂の保存修理で音響を担当

旧奏楽堂の保存修理で音響を担当

―ところで先生のご自宅は、ピアノの部屋を防音なさっているのですか?

はい。マンションの一室ですが、スタインウェイを購入した際、僕自身が音響設計をして、近所に見つけた腕のいい工務店に工事をやってもらいました。それをきっかけに、研究と趣味を兼ねて、ピアノ仲間の家でも数件ほどピアノ室の監修をしました。完成すると、皆で集まっては、ピアノを囲んでワインパーティーを開いています。工事現場では大工さんから学ぶことも多いですし、それぞれの家にあったピアノとのウェルビーングな生活スタイルを考えることも面白いです。

―今、佐久間先生は、どんな感じでピアノを弾いていらっしゃいますか?コンスタントに弾かれていますか?

週末とか平日、ほんのちょっと朝とか夜とかに弾いています。でも、コロナの間、在宅勤務が増えたので、結構弾けましたね。会議の合間とか、ほんのちょっとでも30分でも時間があれば息抜きにもなります。

―テーマを決めた演奏会に出演なさっていることもあるでしょうけれども、レパートリーを広げていらっしゃるなと感心しています。年を取ると新しい曲が入ってきにくい感じが私はしているのですが、そういうことはお感じにはならないですか?

ほんのちょっとあるかもしれないですけど、譜読みは早いので、あまり気にならないです。ただ、暗譜能力が落ちてきたかもしれません。それで最近は物忘れ予防のトレーニングとして、逆に暗譜しようと思うようになりました。以前は、演奏会では暗譜で忘れる不安がありましたが、最近は開き直っています。

―先生は、やはりコンサートホールで聴くということを大切にされているんですね。

僕にはホールに行くことに2つ意味があって、ホールの音響研究として聴くということが一つ。海外のホールで聴く時は、特に演目にこだわらず、色々聴くようにしています。色々な楽器でホールの音響を聴き比べたいということですが、新しい音楽との偶然の出会いもあります。もう一つはピアノを聴きに行く時ですが、こちらは批評的に聴こうとしているわけでは全然ないですけど、どうしても分析的な聴き方になりますね。自然と頭が働いてしまいますが、やはり感性の揺さぶりはホールの響きや空間体験があってこそだと思います。

カザルスホールにてピアノを弾く佐久間先生

カザルスホールにてピアノを弾く佐久間先生

―先程、学校や保育園での音環境の改善を目指した設計の基準や指針の作成に関わられた際のことなどお伺いし、また、実験室では音場を生成するシステムで、音の立ち上がりや残響がどう違うかを体感させていただいて、なるほど音響というのは、音楽に限らず、日常生活のあらゆる局面に関わってくる現象なのだということ、佐久間先生のご研究の対象は大変広く、また緻密であるということを感じました。

音楽は意識をして聴くものですが、身の回りの音環境は、騒音で悩まされている場合を除けば、ほとんど無意識で慣れてしまっているものです。ただ、皆が無関心になると、ますます余計な音が増えて、音環境は損なわれていきます。少なくとも研究者として、どのような場所や場面でも音に注意を向けて、その現象の仕組みやよりよいあり方について考えるようにしています。

―先生の研究室のホームページを拝見しましたが、たくさんの学生さんが在籍していらっしゃいますね。

音楽が好きで入ってくることが一番多く、様々な楽器をやっている学生がいます。最初から生活空間の音に関心を持ってきました、という人はあまりいないですね。それでも次第に、音と人と建築の関わりの奥深さに関心が移っていくものです。

―広がりのある、そして人の暮らしに寄り添ったご研究だと思います。

―今日は、ピアノを軸として色々とお話を聞かせてくださいまして、ありがとうございました。

(聞き手・安永愛)