インタビュー「ピアノとわたし」(12)

斎藤絵里子先生

プロフィール

斎藤絵里子の写真

やまもとピアノ教室主宰、浜松学院大学非常勤講師。
桐朋学園大学音楽学部演奏学科卒業、桐朋学園大学院大学音楽研究科演奏研究専攻修了。日独交流150周年記念ロベルト・シューマン・ピアノコンクール優秀賞。

インタビュー

―小さいお子さんがいらっしゃると伺っていますが、休日にインタビューのお時間を取っていただきありがとうございます。先生は磐田にお住まいですが、磐田のご出身ですか?

はい。

―ピアノ出会いからお聞かせいただけますか?

ピアノを始めたのは5歳からですが、その前に2歳からリトミックをはじめました。

―2歳だと記憶はないかもしれませんが、いかがでしたか?

細かく覚えてはいないのですが、楽しかったという記憶だけはあります。リトミックの続きで、個人の先生にピアノを見ていただくことになりました。家には、母の弾いていたエレクトンがあって、見よう見真似で、何か弾いたりしていました。5歳でピアノのレッスンに通うことになり、アップライトピアノが家に入りました。

―ピアノのレッスンに通われて、いかがでしたか?

家では、母が練習を見てくれていました。練習自体がそれほど好きだったわけではなかったのですが。レッスンは楽しかったです。

―レッスンで先生が怖い、緊張する、というような方もいらっしゃいますけれど、先生の教え方も良かったのでしょうね。ピアノの道に進もうと思われたのはいつ頃のことですか?

小学校4年生の時に、ピアノの先生が浜松学芸高校の先生にかわりまして、その方が、浜松学芸高校の定期演奏会を聴きに行きなさいなどとおっしゃって、私も小学校5年生の時に浜松学芸高校の音楽課程に進むことを意識するようになりました。

―コンクールなどにも出場されていたのですか?

はい、掛川地区コンクールや静岡県のコンクールなどに出場していました。

発表会で弾く斎藤先生

発表会で弾く斎藤先生

―音楽の道に進むと決められてからは、やはり相当練習なさったのでしょうか?

そうですね。大体、コンクールは夏休みにあるのですが、その直前は、一日中ピアノに向かっていましたね。ピアノ教室の発表会は冬にありました。

―中学校では、合唱コンクールなどで伴奏されることもあったのでは

はいそうですね。スメタナの「モルダウ」や、戦争を背景にした「カナカナ」という曲の伴奏をしたのを覚えています。

―中学校では、何か部活をなさっていましたか?

怪我をしてはいけない、というのと土日も試合のある運動部は避けなくては、というので手芸部に入っていました。手芸作品を作りながら、部員で、いろいろ話ができたのが楽しかったですね。

―高校は浜松学芸高校に進まれたのですね。音楽専攻は1学年何人くらいですか?

音楽専攻は1クラスだけで、27人。そのうちピアノが10人足らずでした。他に声楽やヴァイオリン、管楽器を専門にする人たちがいました。放課後も一緒に練習したりして、楽しかったです。

―先生は、ピアノの他の楽器もなさったのですか?

楽器は習いませんでしたが、副科で声楽をやりました。

―その練習はピアノの演奏にも繋がりましたか?

今考えるとそうですね。でも、当時は、イタリア語の発音が難しいな、とかそんな技術的なところが気になって、ピアノ演奏と結びつけては考えられませんでした。音楽はやはり歌が基本だということに気づいたのは、後のことで、それでピアノと繋がってくるように思われてきました。

―大学は桐朋学園大学に進まれていますね。入試の準備は大変でしたか?

はい、大変でした。実技の他にソルフェージュがあって、この課題がなかなか。渡された楽譜のとおりその場で歌うというのと、聴音もあって、ピアノで弾かれた通りに、楽譜に記すのですが、高度な内容のものが出題されました。

―実技の試験はいかがでしたか?

課題曲がバッハの平均律、ショパンのエチュード、ベートーヴェンのソナタが指定されていました。その指定した曲だけを弾くのです。

―先生は、どのような曲がお好きでしたか?

シューマンやショパンなどロマン派ですね。他に古典派も好きでした。

―実技には自由曲はないわけですか。そういったお好きな曲を弾くということはなかったのですね。試験は緊張されましたか?

これほど緊張することはない、というくらい緊張しました。受かった時は、嬉しいというより、信じられない、という思いでした。

―桐朋学園は東京の仙川ですね。一人暮らしでしたか?

最初は桐朋学園大学の寮に入りました。寮の部屋に自分のピアノを置くのです。桐朋のピアノ科はレベルが高くて、ついていけるのか、とにかく必死になりましたが、なんとかなっていきました。

―桐朋での授業やレッスンはいかがでしたか?

浜松学芸高校の時と比べて、専門性が高くなりました。高校では「音楽史」という授業がありましたが、桐朋学園大学では「鍵盤音楽史」いうのがあり、また「ロシア音楽」に特化した授業もありました。

―卒業演奏会では何を弾かれましたか?

シューマンの「幻想曲 ハ長調 Op.17」とシマノフスキの変奏曲です。シューマンは私が好きで選び、シマノフスキの変奏曲は、先生からのアドバイスでした。あまり弾かれていないので、取り組んでみようと思いました。

―先生は、どのピアニストがお好きですか?

グレン・グールドです。特に彼の弾くベートーヴェンのピアノ協奏曲5番が好きです。

―ピアノを長時間練習されて、指や腕にトラブルが生じたり、ということはありませんでしたか?

幸いなことにそれはありませんでした。

―脱力が上手にできているからかもしれませんね。

そうでしょうか。もともと丈夫なのかもしれないです。

―桐朋学園の大学院にも進まれたのですね。

大学院は富山にあるのですが、修士課程は、学部のカリキュラムとはまたガラッと変わりました。修士課程の間に、リサイタルを3回開催するというのが卒業条件で、修士論文を書くのですが、私はシューマンのピアノ・ソナタ3番について書きました。

―なるほど、リサイタルですか。たくさんの曲を準備しなくてはならないですね。

はい、一回のリサイタルで60分ほどのレパートリーを準備します。室内楽も推奨されていましたので、そうした曲も入れました。1回のリサイタルに3ヶ月から6ヶ月ほどの準備期間でした。最後のリサイタルは修了リサイタルということになります。また、「オーケストラアカデミー」とシューマンのピアノコンチェルトかベートーヴェンの第4番コンチェルトのどちらかを選んで弾くことになっていて、私はシューマンのコンチェルトを弾きました。

―ソリストとしての力をしっかり身につけるプログラムなのですね。

―桐朋の修士課程を了えられて、磐田の実家に戻られたのですね。

今、ピアノを教え始めて10年になりますが、最初の頃は、どう教えるのか、試行錯誤でした。

―合唱団の伴奏もなさっているのですね。

はい。ソロで弾く機会はあまりなくて、合唱団の伴奏や室内楽を中心にしてきました。合唱の伴奏は、指揮者がいる、というのが大きいですね。歌曲の伴奏ともまた違って、声のハーモニーとバランスさせるように弾きます。

―今、小さなお子さんがいらっしゃるとのことで、妊娠や出産・育児とお仕事との兼ね合いはいかがですか?

妊娠7ヶ月の時でしたが、ショスタコーヴィッチのチェロ協奏曲のオケパートを弾いていて、お腹が張ってきまして、これは限界だな、と思い、その本番を最後に演奏をお休みしました。

―ショスタコーヴィッチの伴奏だと、お腹に力がかかったりするのかも知れませんね。

はい、結構力が入りますから。

―産後はいかがでしたか?

周りの方にいろいろ聞いて、3ヶ月で復帰しました。

―それは早いですね。大変ではなかったですか?

仕事の時は、実家の母が子供を預かってくれました。それから、子供は哺乳瓶で飲む方に馴染んでいたので、それも助かりました。

―よく頑張られましたね。保育園にはいつ頃から預けられたのですか?

4月生まれなのですが、翌年の5月からですね。0歳児の間は、割となんとかなると思っていたのですが、1歳になってからの方が大変でした。

―なるほど、そうかも知れませんね。目を離せないですし、イヤイヤ期が来たりしますものね。2歳とのこと、今、一番大変な時期かも知れないですね。お嬢さんにピアノを習わせたいとか、そういうこともお考えですか?

斎藤先生のご実家でピアノを弾く0歳のお嬢さん

斎藤先生のご実家でピアノを弾く0歳のお嬢さん

本人の意志を尊重したいと思います。私が弾いていると、やめて、という風に言ってくることもあります(笑)。でも母の住む実家にあるアップライトピアノには触れて遊んだりしているようです。

―それは有望ですね(笑)。パートナーの方も先生のお仕事を理解してくださっていますか?

本人は音楽とは関係ないのですが、お義母様が音楽好きだったり、祖父がヴァイオリンをなさっていたりとか、そういうこともあって、音楽の仕事には理解があるようなんです。「0歳からのコンサート」というのを開催して、子供とお母さん方に楽しんでもらっています。

そういう時には夫も来てくれます。

―いいですね。お子さんたちは、どんな音楽を喜ばれますか?

聞いたことのある童謡などを喜びますね。お母さんたちは、聞き馴染みのあるクラシックがお好きです。ショパンの子犬のワルツなど。

―親と子で楽しめる音楽会というのはいいですね。音楽を楽しんでいるお母さんを見て、子供も楽しくなったりするかも知れないですし。先入観のない子供の反応というのも面白いですよね。先生は、ピアノを弾く時に、どんなことを大切になさっていますか?

そうですね、特に子供が生まれてから、音楽というのは楽しいものでなくては、と思うようになりました。楽しいものにするために、大変な努力がいるわけなのですけれども。

―ピアノの教室ではどんなことを心がけていらっしゃいますか?

子供達には、人間性を育んで欲しいと思っています。音楽を通していろいろ学んで欲しいですね。自分の思いを表現できる、言葉にできる人になって欲しいです。生徒さんと接していますと、いろいろ話をしてくれるんですよ。親にも話せないようなこととかも。ピアノのレッスンの場が、一つの癒しとなっている部分もあるようです。何年もレッスンしていますと、そのお子さんの成長に伴走していくことになります。そういう意味でも、ピアノの教師というのはいい職業だなあと思います。

―確かに、学校でも家庭でもない場所がとても大切ですよね。

―先生は、浜松学院大学でも教えていらっしゃるのですね?

はい、保育士や幼稚園教諭を目指している人で、ピアノが必要になっている方に教えています。中には、ピアノを練習したことのない方もらいらっしゃいます。

―先生は、今後、どのようなことをなさりたいですか?

そうですね。私の住む磐田市はとても吹奏楽が盛んだと思います。でも室内楽に触れる機会は子供の頃なかったです。ですから、子供達が室内楽に触れられるような機会を作っていきたいと思っています。それから、保育の現場でも、録音した音楽を流して歌を歌ったりすることが増えて、先生のピアノに合わせて歌うというのがなされなくなりつつあって、残念だと思っています。先生のピアノの伴奏に合わせて歌う経験というのは、とても大切だと思うんです。保育園や幼稚園でピアノ伴奏できる方々を育てていきたいですね。

―先程、グレン・グールドがお好きだと伺いましたが、他にどのような音楽家がお好きですか?

新潟出身で、今は浜松に住んでいらっしゃる横坂源さんというチェリストと共演させていただいたのですが、本当に素晴らしいです。

―齊藤先生は、今、育児も一番手がかかって大変な時期だと思いますが、演奏すること、教育することを両方続けていらっしゃって、きっと充実した音楽人生になることと思います。

ピアノとウェルビーイング研究所でも、何卒お願いいたします。

―今日は、お話を聞かせてくださり、ありがとうございました。

(聞き手・安永愛)