インタビュー「ピアノとわたし」(5)
岡田裕之先生
プロフィール
1928年生まれ。法政大学名誉教授。経済学博士。
わだつみのこえ記念館館長。
著書に『社会主義経済研究』I・II(1975, 1979)、『ソヴェト的生産様式の成立』(1991)『貨幣の形式と進化』(1998)『日本戦没学生の思想〈わだつみのこえ〉を聴く』(2009)他。
インタビュー
―本日は、まことにありがとうございます。岡田先生とは本当に不思議なご縁です。
社会学者の見田宗介先生が2022年4月に亡くなられて、その直後、ご長男の眞人さん(社会福祉法人 つむぎ 障害者支援施設 おだまき 施設長)が、1984年度の見田ゼミ仲間にお声がけ下さって、元ゼミ仲間でのメールでのやりとりが活性化してきました。何かの流れでピアノの話題になったところ、眞人さんのメールに「父がよく『月光の曲』を弾いていたのを覚えています。父は90代の今も、ベートーヴェンのピアノソタ全曲制覇を目指しています」とありました。私自身、老いのとば口にあり、老後のピアノ・ライフには個人的な関心があり、是非インタビューをさせていただきたいと思いました。
このピアノ(眞人さんがご持参くださったお父様の書斎を再現したドールハウスのピアノ)は先生のエッセイ「夜のひととき」(『われらの時代―メモワール 平和・体制・哲学』所収。1999年 時潮社)の中に書かれていた、お母様の印税400円で買われたというドイツ製のピアノですか。
いえ、そのピアノではなくて2台目のものです。私が弾いているピアノはウィスタリア・ヒューゲル(藤・丘の意)銘ピアノです。母は現在のお茶の水大学にあたる女子高等師範学校の理科家事科を出て、良妻賢母教育を行う実践女子専門学校の教師になり『高等小学家事指導精案』と『主婦の友・家計簿』の執筆をしまして、その印税が入ったのです。戦前のことで、まだピアノは珍しかったのですが。父は唱歌やジャズが好きでピアノを弾いていました。
―モダンなエリート家庭ですね。先生のエッセイには50代の半ばから夕食の腹ごなしに、ピアノを弾くようになったと書かれていますね。食後のピアノが健康法になったと。法政大学で経済学の教授を務められ、研究・教育ともに充実されていた頃かと思いますが、ピアノを中年以降に始められて最初に弾かれたのがベートーヴェンの『月光ソナタ』だったとのことですね。特に習うでもなく、いきなり弾き始められたのですね。少し不思議な感じがするのですが。
妹が音大生で、家で夜昼となくピアノを弾いておりましたから、ずっとピアノの曲を聴いていたというのはあります。ベートーヴェンの『テンペスト』や『ワルトシュタイン』やショパンの『バラード2番』などは否応なしに覚えておりました。ずっと生活の中で聴いておりますから、自分でもピアノを叩いたりしていたんです。バイオリンをやっていたこともあるのですが、バイオリンだと変な音や嫌な音が出たりするでしょう?音程をきちんと取るのは難しいことです。ピアノは調律さえしてあれば、楽譜通りそのまま音が出ますから、その意味では簡単です。それに子供みたいに「バイエル」なんかからやっている暇はないですし。
―バイオリンは基本的に短旋律で楽譜も1段ですが、ピアノの楽譜は2段で大変だとか、そういう感じはなかったのですね。若い頃にずっとピアノの音楽を聴く時代がおありだったら、スムーズに入っていけたのかも知れないですね。
50代の半ばで『月光』の第1楽章が通して弾けるようになり、感動しました。そして、第2楽章、第3楽章と進みました。それからショパンのワルツ、ノクターンも弾き、レパートリーを増やしてきました。バッハの平均律のプレリュードは何曲か弾きましたが、フーガはなかなか難しいですね。ベートーヴェンのソナタ32曲も結局全部さらいました。今、ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全曲演奏の三巡目です。練習しては多忙になると放置して、忘れるけれど、また弾き直すわけです。
―そうでいらっしゃいますか!驚きました。32曲制覇を目指していると眞人さんから伺っていましたが、すでに全てさらわれたのですね!29番の『ハンマークラヴィーア』や32番の終楽章のフーガなど、譜面を読むだけでもとても大変だと思います。
『ハンマークラヴィーア』は第4楽章だけで4年かかりました。弾いたことありませんか?『ハンマークラヴィーア』の3楽章はゆっくりで難しくないですよ。お薦めです。昔、藤田省三君がうちに来て、『月光』を弾いてみろというから弾いたんだけれども、「丸山(眞男)さんはアッパッショナータ(『熱情』)を弾くぜ」、と言ってきたものだからね、それじゃ、こちらも弾いてみようと思いました。
岡田先生の書斎を模したドールハウス
―そうですか、丸山眞男はクラシック通として知られていますけれど、ご自分でピアノを弾いておられたんですね。先生は丸山眞男の向こうを張って、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲制覇に向かわれたという訳ですね(笑)。
先生のご著書『日本戦没学生の思想―〈わだつみのこえ〉を聴く』を拝読させていただきました。旧制高校生の文化というのでしょうか、死没した学生の遺稿には、西洋の文学・思想・芸術への憧れ、そしてそれを貪欲に吸収しようとする情熱が溢れています。クラシック音楽を好む学生も多かったように見受けられます。先生も一高・東大と進まれて、そうした気風の中にいらっしゃったのでしょう。老年に向かう中でとりわけベートーヴェンに親しみを感じるようになったと「夜のひととき」に記していらっしゃいますね。
ベートーヴェン、モーツアルト、ショパン、シューベルト、とどれも古典ですね。書物の古典もある。でも書物も絵画も自分との距離感は消えないけれど、楽譜を追い音を奏でているとき、まさにベートーヴェン自身、ショパン自身の感覚を直接自分のものとすることができる。まさに彼らの感覚になる。天才との一体感です。これほどの喜びはないですよ。モーツアルトが好きだ、好きすぎて困っている、なんていう友人もいたんですが、私の見るところ、モーツアルトは一種の天才。ベートーヴェンはもっと人間的です。ヘーゲルは、最初と最後がひと回りして一致する、と言うけれども、ベートーヴェンのピアノソナタも1番のハの音で始まって32番もハの音で終わる。それに「苦悩を通して歓喜へ」というのがベートーヴェンの音楽にはある。ピアノ・ソナタにも交響曲の曲想が感じられます。ショパンはワルツとノクターンしか弾きませんけれど、そこに繊細な美、心情、詩情が感じられますね。
―先生は、ベートーヴェンはどのピアニストの演奏がお好きですか?
ケンプだね。ケンプしか聴きません。ケンプはリストの孫弟子ですね。ですから私はリストの5代目くらいの弟子だと思っていますよ(笑)。
―それはいいですね。その気概がいいです。
眞人さんから「米寿記念音楽会プログラム」を頂いています。表紙(眞人さん作のカエル?が指揮棒を振っているユーモラスなステンシルの絵柄)には「勝手音楽会」とありますね(笑)。これは何年前になりますか?
6年前ですね。
―「歌曲で綴る青春譜」も含む長大な演奏会で、一晩ではとても最後までたどりつかなかったそうですが、ピアノの部は全部弾かれたのですね。プログラムは以下の通りです。
「平均律クラヴィア曲集第1集、第1番プレリュード、第8番プレリュード、モーツアルト・ピアノソナタ第11番第3楽章 トルコ行進曲、ベートヴェン・ピアノソナタ第14番(月光)1楽章、第23番(熱情)第1楽章、ショパン・前奏曲第15番雨だれ、葬送行進曲、シューマン・子供の情景 第7番「トロイメライ」」
ご長男の眞人さん作のステンシル画(左)と米寿記念の演奏会でピアノを弾く岡田先生(右)
素晴らしいプログラムです。ご家族三世代揃ってピアノを囲まれたのですね。「勝手演奏会」のプログラムは3ページに及び、「歌曲で綴る青春譜」の部はとても全てを追うことはできないですが、それぞれの時代が歌の記憶と結びついているのですね。
とにかく歌は好きです。父母の歌っていた歌、それからミッション中学で馴染んだ讃美歌、そして戦中軍事教練の軍歌、旧制高校の寮歌。そして、戦後はうたごえ運動というのもあったし、寮歌祭も印象深い。外国語の歌もよく歌います。外国語というのは歌で覚えると忘れないですね。フランス語の歌も、ドイツ語の歌も。「インターナショナル」は英語・ドイツ語・フランス語で全部歌えます。シューベルト「野ばら」はドイツ語で歌います。イヴ・モンタンの「兵隊が戦争に行くとき」はフランス語で。ヴェルレーヌの詩は美しくわかりやすくて覚えやすいです。中国語の歌もね。日本語は漢語文字を音と訓に二重化しているでしょう。「北風吹=ペイ・ファン・チュイ」「ホク・フウ・スイ」「キタ・カゼ・フク」となるわけです。
―ほんとうにたくさんの曲を、外国語の歌詞でよく覚えていらっしゃるんですね!そんなふうに色々な外国語の歌詞がスラスラと出てくる方というのは、思いつくのでは比較文学者の芳賀徹先生くらいです。経済学がご専門の方ではそのような方にお会いしたことはないです。「米寿記念演奏会」のプログラムからは、本当に音楽を愛していらっしゃること、家庭に音楽が満ちていることがよくわかります。
眞人が最近ウクレレを始めて、それに合わせて歌ったりします。眞人は大学で能を始めたけれども、私は友人の小島美子さんの日本音楽史にも興味を持っていました。最近亡くなった坂本龍一の曲の中にはクラシックなもの、それから東洋的なものがありますよね。そもそも、音楽というのは、絵画なんかよりも古い起源があるのではないかと思っています。川田順造さんの『無文字社会の歴史』よると、太鼓の音がメッセージであったりする。カントの三批判書、デカルトやスピノザ、そうした思想と音楽美学がどのようにつながるのか、そういったことにも興味があります。
先週は、東大の五月祭の企画で、わだつみのこえ記念館長として講演をしました。私も父も、たまたま出征することはありませんでした。だからこそ戦没学生たちの声を残していく義務があると考えています。
―今日は、本当に溌剌とされている先生から、たくさんのエネルギーを頂いたように思います。わだつみのこえ記念館館長としてのお仕事もおあり、お忙しいと思いますが、音楽とともにお元気でお過ごしください。私は、先生のご著書『日本戦没学生の思想―〈わだつみのこえ〉を聴く』はフランス語に翻訳されると良いと思っております。
(聞き手・安永愛)