インタビュー「ピアノとわたし」(17)

宮城嶋遥加さん

プロフィール

宮城嶋遥加の写真

静岡県舞台芸術センター(SPAC)俳優。
静岡大学人文社会科学部言語文化学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学表象文化論コース修了。修士論文のテーマは「演技する「個」から「開かれた身体」へ ~近代的主体を超越した宮城聰の演劇実践~」。

インタビュー

―宮城嶋さんは、SPACの俳優として活躍される他、様々な文化的イベントやパフォーマンスを展開なさっていますね。ピアノとのコラボレーションで朗読や演技をなさる、といった経験も積まれています。今日は、俳優としての宮城嶋さんから見たピアノについて語っていただこうと思います。宮城嶋さんは、ピアノを習われていたのですね。

はい、4歳から始めて、高校までレッスンに通っていました。それに加えてバレエや器械体操もやっていました。ピアノは高校くらいまで続けて、ショパンの「華麗なる大円舞曲」などを弾いていました。SPACでの稽古に熱中する一方で、ピアノは淡々と続けていたという感じです。

―そのように、複数のレッスンに通われる中、ピアノというのをどのように受け止められていましたか?

あの、こう言っては顰蹙かも知れないのですけれど、ピアノの練習をしてて、死にはしないな。怪我はしないな、って思っていました。器械体操などをやっていますと、失敗したら怪我するかも知れない、そういう技に挑戦しなければならないことがあるわけなんです。実際、あと10センチ着地が違っていたら頸をやられていたな、と、そんな経験もあります。ピアノを練習していてそこまでの大きな怪我をすることはまあない、っていうのがありました。

―「怪我はしないな、死にはしないな」というのをピアノの練習について聞いたのはちょっとびっくりしましたが、確かに言われてみればその通りですね。ある意味、安全地帯にいるわけですね。

高校は清水南高校という芸術科のある高校の普通科に進学したのですが、ピアノの専攻があって、学校で絶えずピアノの音を耳にしているような環境でした。そして、ピアノを専攻する人たちと、自分は全然違う、ということも感じていました。自分は音楽というより演劇の方向だな、と。芸術科のある高校で学べたのはやはりよかったです。芸術に打ち込むこと、そこから個性を伸ばすことを推奨する雰囲気がある中で過ごせたのは、とても良かったと思っています。

ピアノを続けていたことで、演劇の中にある音楽的なものに馴染みやすかったということはあると思います。演劇と音楽って、とても近いところにあると思います。特にSPACの宮城聰さんはそうです。宮城さんの演劇の作り方というのは独特で、「尺」というのがあって、それに厳密に沿って上演されるんです。まさに楽譜に沿って上演するようなやり方なんです。

―宮城嶋さんが東大大学院に提出された修士論文でそのことを知りましたが、本当に驚きました。実に緻密にセリフや間や音楽の入るタイミングというのが指定されているのですね。

確かに、宮城マジックというのがあるのですよね。ただ言葉やセリフの意味が伝わればいいのなら、「尺」などという単位はなくても成り立つのかも知れないのですが、繰り返されるリズムや感覚の波のようなものが、一種のサブリミナル効果なのかも知れませんけれど、観客の身体に働きかけるのです。宮城さんの舞台では、役者は、舞台での楽器の奏者も兼ねます。これも珍しいことではないでしょうか。棚川寛子さんという、最初役者としてSPACに入られた方が、宮城さんの舞台の音楽を作られるようになったんです。棚川さんは、楽譜は読めません。様々な打楽器が中心の音楽を作られるのですが、楽器を叩いて見せて、他の団員がそれを記譜していく、というやり方なんです。棚川さんは、もう本当に天才だと思います。

宮城さんは、演劇と音楽というのをかなり近いものと捉えていると思います。セリフの演出をつける時なんかも、「そこは半拍遅れで入って」とか「半音下げて」「半音上げて」と言い方をします。

―面白いですね。

そういう指示を受ける時も、ピアノで音楽の基礎ができていたから、ピンとくる、というところはあると思います。演劇の音楽的解像度というものをあげるのに、ピアノをやった経験は生きているのではないかと思うことがあります。

―静岡大学の大学会館で、朗読会の練習をしていた時、舞台にBGM用にピアノがあって、リハーサルの合間に宮城嶋さんがショパンの「子犬のワルツ」の右手の部分だったのですが、それを少しゆっくり弾いていたのを覚えています。多分、久しぶりに鍵盤を前にした、という感じだったと思うのだけれど、バレエや器械体操で体に柔軟性のある人の弾く音だなあ、と感じ入りました。音が柔らかかったし、音が段々上がっていって、一度伸びをして降りてくる、みたいな何気ないフレーズが、とても自然でした。きちんと呼吸している音楽だな、と感心しました。その時は、全然褒めなかったけどね(笑)。

―宮城嶋さんがピアノとのコラボレーションを始められたきっかけは?

静岡県立美術館のロダン館での後藤友香理先生とのコラボレーションが最初ですが、それは、「静岡大学アートマネジメント力育成事業」の一環で、静大客員教授の平野雅彦先生がお声がけくださいました。2015年のことです。

―そうだったんですね。ロダンの彫刻作品にインスピレーションを得て、長谷川慶岳先生が曲を書かれて後藤先生がピアノ演奏なさり、演奏の前後に宮城嶋さんが詩を読まれたのでしたね。単に読まれるだけではなく、動きや踊りも交えてでした。あのロダン館の空間というのは独特ですよね。もちろんロダンの彫刻作品はそれぞれにエネルギーに満ちているし、自然光の降り注ぐ展示室の天井もスケール感があります。

ああ、若かったな、って思います。よくあんなことができたな、と今になって思います。あの空間を繰るっていう大それたことをよくやれたもんだと、ちょっと呆れてしまいます。

―あの舞台は、印象的でした。最初は、教え子の宮城嶋さんが出演するから、というので宮城嶋さんの朗読・演技に触れようと思って観ているわけなんですけれど、段々と宮城嶋さんというペルソナを脱していって、ああそう、人間って、こんな風に愛したり、悲しんだりするんだな、って、そういう次元になってきた感じがしました。長谷川先生の曲も透明感溢れていて、またそれを後藤先生が懐深く受け止めて演奏されていました。

―この間、長谷川先生の作曲された曲を集めて後藤先生がピアノ演奏なさった「ロダンをめぐる8つのイマージュ 長谷川慶岳作品集」のCDがリリースされましたね。その中に、宮城嶋さん作・朗読の「地獄の門の前に立ちて」が収められていますね。2015年の上演の際の時の詩ですね。

ロダン館の中でも目を引く「地獄の門」の彫刻を前にした印象を詩にしたものなんですが、あんなナイーブな詩をよく書けたな、と思います。今だったら、違う詩になると思います。

―でも、そのナイーブさが良かったのではないでしょうか。

―宮城嶋さんは、ピアノの他の楽器と朗読のコラボをなさることもありますか?

和笛(篠笛)とのコラボレーションや、ギター、オーボエとのコラボもありました。

―朗読とピアノという組み合わせは、割とよく見られると思うんですが、朗読と合わせるときのピアノの特色というのはどういったことでしょうか?

ピアノは、やはり音を小さくしたり大きくしたりできますから、そこは自由度が大きいですね。和笛(篠笛)なんかだと、音量をそんなに変えることはできません。声と重ねることは難しく、朗読を行なっていない時に、笛は入る、ということになります。ピアノの場合は、朗読と重ねてもいいし、重ねなくてもいいわけです。

―宮城嶋さんは、「シベリアのバイオリン」という朗読劇をピアニストの小澤実々子さんと共にDVDにされていますね。

「シベリアのバイオリン」上演 於・三保第一小学校体育館(写真:芹澤真武)

「シベリアのバイオリン」上演 於・三保第一小学校体育館(写真:芹澤真武)

あれは原作(窪田由佳子『シベリアのバイオリン コムソモリスク第二収容所の奇跡』地湧社、2020年)があって、私はそれを是非とも朗読劇にしたいと思ったのです。それで、清水南高校時代からの友人でピアニストであり、原作者の娘さんの小澤実々子さんにお願いをしました。私は、テクストを読みながら、ここにこういう音楽が欲しい、ということを具体的に指示していきました。ここはオレンジのイメージとか、かなり抽象的なことも交えながらですけれども。こちらがイメージを伝えると、小澤さんがそれを受け止めてくれて、ピアノの音にしてくれるのです。小澤さんは、ヴァイオリンや歌の伴奏をたくさんやってきた方で、そういうこともあって、相手に沿っていくということが自然にできる方なんです。テクストを読み、そのテクストが読まれる空間、そこにいるお客さん、というのをイメージすると、テクストの行間から色々な構想が湧いてくるのです。ここにこういう音が欲しいとか、ここにこういう色の雰囲気が欲しいとか。小澤さんと練習しながら、細かくニュアンスを訂正していくこともありました。

「シベリアのバイオリン」映像現場スチール(写真:芹澤真武)

「シベリアのバイオリン」映像現場スチール(写真:芹澤真武)

―私も、色々テクストを読んでいて、ここで音楽が聴こえてくるといいと思うようなことがあります。活字が均等に並んでいても、実際の進行する速度というのはかなり違うのかも知れないし、テクストに書かれていない「間」が意味を持つことだってある気がします。音楽の入る朗読劇を作る醍醐味というのはテクストの行間をイメージするところにある気がします。

―ところで、私共は静岡大学に「ピアノとウェルビーイング研究所」というのを立ち上げましたが、このウェルビーイングというのと芸術との関係はどのようなものだとお考えですか?ウェルビーイングの中に芸術は含まれるのか、あるいは芸術にはウェルビーイングに収まらないものがあるのか、その辺りについてはどうですか?

そうですね。こうやって役者をやっていますが、それは、少し人と違う部分があってのことです。「たがが外れている」とか「ネジが外れている」とか、そういうことなんですけれども(笑)。役者をやっているのはウェルビーイングの為というよりビーイングの為だという気がします。「良きこと」かどうかはわからない。けれど、「在る」ため「存在する」ためにやっているという気がするのです。あらかじめ「良きこと」というのが定められているわけではないし、芸術には狂気というか魔的なものがありますから、決して「ウェル」とは言えない部分があると思います。でも「在る」ということに向かっているのだと思います。

―やはり芸術は善悪の彼岸なのでしょう。「ピアノとビーイング研究所」でも良かったかも知れませんね(笑)。

―「シベリアのバイオリン」はまさにコロナ禍で上演されたものでしたが、コロナ禍を経て私たちは、音楽なり演劇なり、空間を共にして享受する、ということの意味を問い直されている気がします。

やはり、ホールという空間の中で体験する音楽や演劇には、身体に響く波動があると思います。これは、YouTube鑑賞では得られない部分です。それから、わざわざホールや劇場に足を運ぶ時、スペクタクルの前後にどんなことをしたかとか、たまたま劇場で隣り合った人がどんなところで反応していたかとか、そういった公演そのものではないところにも、何か感覚の拓けのようなものがあると思うんです。そういうことって意外と大切な気がするんです。

―今日は、俳優から見たピアノ、音楽と演劇に通じるもの、さらに芸術の存在論など、お聞かせくださってありがとうございました。今後、ますますのご活躍を楽しみにしております。

(聞き手・安永愛)