インタビュー「ピアノとわたし」(14)
桐谷仁先生
プロフィール

政治学者、静岡大学人文社会科学部教授。千葉県出身。慶応義塾大学法学部政治学科卒業、同大学院法学研究科政治学専攻博士課程単位取得。静岡大学人文社会科学部法学科教授。専攻は政治学/比較政治学。主要OECD諸国を対象にして、政治体制の差異が政策実績や経済実績の違いに及ぼす影響の比較研究、とくに「コーポラティズム」の諸問題について研究。
インタビュー
―先生はジャズに深い造詣をお持ちですが、ジャズとの出会いはどのようなものでしたでしょうか?
高校時代にプログレッシヴ・ロックをよく聴いていました。その流れでジョン・コルトレーンの「至上の愛」にも触れていましたが、ジャズにはまっていたというわけではありませんでした。本格的にジャズを聴くようになったのは、1970年代後半、東京で大学生活を始めた時です。当時はジャズ喫茶隆盛の最後の時期でした。いろいろな店に行きましたよ。
―思い出深いジャズ喫茶は?
千駄ヶ谷にあった村上春樹の店です。ジャズ喫茶といえば、大概は駅近くの雑居ビルの地下にあり、大音量と煙草の燻し香が漂う薄暗い空間ですが、彼の店はそうではなかった。階段を上った先にある、ガラスに囲まれた透明度の高いスペースだったことを覚えています。
―村上春樹の店ですか。
『風の歌を聴け』を書いていたころになりますね。リクエストに、はいわかりましたと無表情に応じてくれました。そこで初めて聴いたのがジャズピアニスト、セロニアス・モンクのブルーモンクでした。
―モンクがスタートだったんですね。
そうです。ピアノを奏でるというより打楽器さながらに叩く。ふざけたようなヘタウマ演奏の中にふわっとした一体感を醸し出す奇妙な感覚。「一体これは何なのだ!」という第一印象は、その他のジャズを知りたいという探求心へ変わり、気づけば完全にジャズにはまっていました。
―ジャズへの探求はどのように始められたのですか?
まず、いろいろなジャズ関係の本や雑誌を読み漁りました。そこで覚えた興味ある曲目をジャズ喫茶に行ってリクエストして聴いて、その内容を実感するということを繰り返していきました。今はYouTubeで気軽にジャズを楽しめますが、当時はCDすらないLPレコードの時代。絶版の名盤に至っては学生身分ではそう簡単に手に入れることはできません。ジャズ喫茶は、ジャズへの探求心を満たしてくれる楽曲のアーカイブでした。
―ジャズへの探求が深まるにつれて、その魅力の神髄が見えてきたのではないでしょうか?
ジャズの魅力にはいくつかあると思いますが、まず挙げたいのが「即興演奏(インプロビゼーション)」でしょう。演奏者が、今・ここにおける自己表現欲求に忠実に従って即興演奏を展開し、あるプレイヤーのアドリブに他のプレイヤーが呼応し対話していく。この一期一会感こそジャズの神髄と言えます。個々のメンバーの自由な発想によるアドリブに基づき、楽曲は絶えず修正され再編されてゆきます。例えば、同じジャズピアニストの同じ曲でも、演奏時期やコンボの構成によって演奏が大きく異なることがあります。
―即興はジャズの重要な要素ですね。他にはどうでしょう。
「スウィングしなければジャズではない」という言葉があるように、ジャズには「スウィング感」が求められます。これは単なるリズムパターンではなく、揺らぐ身体感覚を伴った独特なノリです。水平的な抒情感覚とそれを打ち消すような垂直的なリズム感との融合とでもいいましょうか。理性による感性の統御が行き届いたクラシック音楽とは異なる点だと思います。さらに、ジャズで重要視されるのが「インタープレイ」です。演奏者同士の対話的な掛け合いで、プレイヤーは概ね均等に割り当てられたソロパートに、自身の技術と感情の表現であるアドリブを組み込んでゆきます。さらに、観客との対話もインタープレイと言えます。プレイヤーによる白熱の掛け合いが成功すれば観客は惜しみない喝采を送りますが、不発に終われば容赦なくNGを出す。そんな祝祭空間がジャズのライブ演奏には出現するのです。
―さきほどクラシック音楽との比較について触れられましたが、先生はクラシックもよく聴かれると伺いました。ピアノ演奏という点で、ジャズとクラシックの違いはどこにあるとお考えでしょうか?
おっしゃる通り、私はクラシックも聴きます。中でもバッハは好きですね。ジャズとクラシックを決定的に分けているのはスウィング感だと思います。ビル・エヴァンスを例に挙げれば、あのもごもごとした、踏ん切りがつきかねて思索しているような感覚です。ジャズピアニストは、それぞれ独特なスウィング感をもっており、それが各プレイヤーの個性になっています。ジャズピアニストがクラシックの曲を弾くこともありますが、何か滑らかさに欠けることが多い気がします。逆に、クラシックのピアニストがワルツ・フォー・デヴイをビル・エヴァンス風に弾いたのを聴いたことがありますが、洗練されすぎているというか、あっさりとした感じでした。ただ、ワイセンベルクがバッハの「プレリュードとフーガ イ短調 BWV543」を演奏したのを聴いたとき、ジャズピアニストのマッコイ・タイナーの重層的なリズム感を彷彿させ、感銘を受けたことがあります。そう考えると、スウィング感とは、われわれ人間が根元的なところで共有するリズム感であり、ジャンルにかからず表出する演奏表現なのかもしれません。
―私もジャズのスウィング感に惹きつけられます。さて、先生のご専門へ話題を向けさせてください。先生は政治学者でいらっしゃいますが、政治学者からみたジャズとはどのように映るのでしょうか?
社会は様々な要素によって動的に構成されています。ジャズを音という要素の連鎖ととらえれば、社会そのものと言っていい。ビバップからモードを経てフリーへと至るモダンジャズの系譜は、間や沈黙も含めて音と音との関係性における絶対的自由を希求した営為の歩みだったのではないかと思うんです。つまり、音と音との結合を緩やかにして接合の自由度を高め、即興性の余地をより拡大していく方向を目指したんじゃないかと。そのうえに成立する演奏者間の協奏と観客とのインタープレイ、それはまさにヒトとヒトとの相互作用です。
―分子の反応論に近い考え方ですね。政治学や社会学とジャズ、大いに関係がありそうです。
社会科学者が音楽を取り上げた例にマックス・ウェーバーの『音楽社会学』があります。人間の声から楽器への発展、和音形式の発明、譜面の印刷化と普及、西洋音楽から近代音楽への発展を「社会の合理化」と類比させて捉えており、たいへん面白いと思いました。
―先生が考える政治学とジャズとの関係について教えてください。
一言でいえば、ジャズとは「究極の民主主義」ですね。イギリスの政治学者リンゼイは民主主義を「集いの意識」としてとらえた。アテネの直接民主主義における祝祭空間の形成もそうでしょう。ジャズの演奏空間が「集いの意識」の表出であるならば、ジャズのインタープレイは民主主義そのものといっていいと思います。アメリカ文学者の大和田俊之も、『アメリカ音楽史:ミンストレル・ショウ、ブルースからヒップホップまで』の中で「スウィングジャズは形式的にもソロ(個人の自発性、即興性)とアンサンブル(多様性の規律)が調和した音楽であり、個人の利益(ソロ)と公共の利益(アンサンブル)が矛盾なく共存する民主主義の理想をわかりやすく可視化した」といっている。まさにその通りだと思います。そうはいってもジャズには様々なバリエーションがあります。セシル・テイラーのフリージャズはアナーキズム的、チャールス・ミンガスは統制型とも言えます。
―ジャズを民主主義ととらえれば理解しやすいですね。さて、これからジャズピアノを聴いてみたいという方に、先生が推すピアニストを挙げて頂けませんか?
ジャズは多様で時代に応じてスタイルが変わるので、それぞれのスタイルで代表的なピアニストを挙げましょう。あくまで私の好みですので、そのなかから好きそうなものを選んでいただければ幸いです。
―ではモダンジャズの黎明期からお願いします。
スウィングジャズからモダンジャズへの過渡期に現れた超絶技巧のピアニスト、アート・テイタムとオスカー・ピーターソン。エロール・ガーナ―もいいですね。モダンジャズ初期のビバップではバド・パウエル。独創的なヘタウマ、セロニアス・モンク。リリカルな演奏のマル・ウォルドロンといったところでしょうか。ビバップの中からモードが出てくるんですが、私にとって最もフィットするのがそのモードジャズです。やはりビル・エヴァンス。「ワルツ・フォー・デビイ」、「ポートレイト・イン・ジャズ」、「インタープレイ」あたりから聴き始めてはと思います。「ワルツ・フォー・デビイ」は村上春樹の『ノルウェイの森』で出てきます。『ノルウェイの森』にはジャズがたくさん出てきますが、マイルス・デイビスの「カインド・オブ・ブルー」もそうです。モードの完成者という点で挙げておきましょう。このアルバムにはエヴァンスも参加しています。
―『ノルウェイの森』ですか・・・学生時代を思い出します。もう少しお願いします。
コルトレーン時代のマッコイ・タイナー、ハービー・ハンコックは聴いてほしいです。フリージャズとしては、セシル・テイラー、山下洋輔などはどうでしょうか。ちなみに、在外研究時代にアメリカでセシル・テイラーのミニコンサートへ行き、握手をしてもらったことがあります。
―それはすごい。なかなかできる経験ではありませんね。
ここまでジャズの巨人と言うべきピアニストを挙げさせていただきましたが、最後にミシェル・ペトルチアーニを紹介します。フランス出身で、エヴァンスとタイナーとハンコックを吸収して止揚したような、とにかく総合的な魅力を放ったピアニストです。垂直的なリズムにヨーロッパ的な哀愁と抒情をのせた多元的な演奏を見せてくれます。特に1980年代のニューヨーク時代が大好きです。
―私もペトルチアーニは好きです。困難を乗り越えた人の情熱と誠実さに感服します。さて、ピアニストが挙がったところで、これからジャズを聴こうとする方へよきアドバイスをお願いします。

桐谷先生対談中
まずは聴いてみる事です。今はYouTubeなどの動画共有サービスがあるので、面白いと思ったらどんどん聴くべきです。聴いているうちにさらに興味が湧いてきたら勉強も必要だと思います。ジャズに関する様々な本を読み、ジャズがどのような音楽なのか、その歴史的コンテクストと合わせて了解することが重要です。そしてジャズの多様性、多面性、進化を理解できれば、ジャズの聴き方が大きく変わってくるはずです。
―ジャズを理解するには勉強も必要だということですね。
ジャズ自体の知識も必要ですが、ジャズには人種問題やエスニシティ問題が大いに絡んでいるので、ブラック・ライブズ・マターを含め、リロイ・ジョーンズの書籍なども目を通してはどうかと思います。また、ジャズはクラシックとの対話によって発展してきたという側面もあるので、西洋音楽の社会的歴史的背景を知ることも重要だと思います。
―最後になりますが、これからのジャズとの関わりについてお聞かせ下さい。
そうですね、最近は昔ほどジャズを聴いていませんが、ふとしたきっかけで新しいジャズピアニストに出会うことがあります。YouTubeなどによってその機会は増えました。新しい人たちは、これまでのいろいろな技巧を習得して、あらゆるジャズのパラダイムを高いレベルで難なく弾きこなしています。その技術は本当にすごい。これは、最近の村上春樹も対談で述べていることですが、私もまったく同感です。
―2022年の『文學界』11月号の対談ですね。そうすると、技巧を追求しつつも過去のパラダイムのリピートに陥る可能性もあるという事でしょうか?
もちろんジャズですから単なるリピートにはならないでしょう。ジャズがロックやクラシックなどの他のジャンルの音楽を吸収・融合してきたことを考えると、これまでの各パラダイムの洗練化とパラダイム相互の融合化はさらに進むでしょう。ただ、今の時点でまったく違う異質なパラダイムが現れているかと言えばそうでもない。すでに古典化しているのかもしれません。
―ジャズが古典化している?
ジャズ教育は既に大学で制度化されています。トーマス・クーンがいうようにジャズの奏法の型が教科的に体系づけられ、学生はビジネス・スクールやロー・スクールのように様々な事例を学習し習得してゆきます。これはジャズがエスタブリッシュされ、既成体制に組み込まれた音楽になったことを示しています。
―これからジャズはどうなってゆくのでしょうか?
正規のジャズ教育を受けた新しいアーティストが次々と誕生してゆくと思います。ジャズの継承を考えるととても良いことです。一方、最近の演奏にはどこか既視感を覚えるものがあります。ジャズのパラダイムは出尽くしたのかと言えばそうではないと思います。独創性を重んじるジャズの世界だからこそ、いずれは全く新しい機軸が登場するだろうし、そうなることを期待しています。
―ジャズピアノを起点に様々なお話を伺うことができました。桐谷先生のライフスタイルにジャズピアノが深く影響していることがわかり、ピアノとウェルビーイングとの関係を探る研究所にとって貴重なインタビューとなりました。本日はありがとうございました。
(聞き手・原正和)