インタビュー「ピアノとわたし」(2)
伊藤康英先生
プロフィール

作曲家、編曲家、教育家。洗足学園音楽大学教授。
東京芸術大学音楽学部作曲科を経て、東京芸術大学大学院作曲専攻修了。
吹奏楽、室内楽、管弦楽、合唱曲、歌曲、ピアノ曲多数。
浜松市歌作曲者。
インタビュー
―先生は浜松のご出身でいらっしゃいますね。
はい、小学校の社会科の時間に、浜松市内にピアノ会社が20何社ある、という風に教わりました。山葉寅楠をご存じですか?現在のヤマハの前身である日本楽器製造の創業者で、彼はアメリカ製オルガンの修理を頼まれたことから自力で日本初のオルガンの成功に漕ぎ着ける訳ですが、そのアメリカ製オルガンが置かれていたのが、浜松尋常小学校で、私の通った浜松市立元城小学校の前身です。実家は浜松まつりのパレードの通りに面していまして、こないだ家康公騎馬行列の際の松潤の着替えスポットになったようです(笑)。
―先生は、大変な数の作曲をなさっていますね。約1500曲とのことですね。いつ頃、作曲家になろうと思われたのですか?
小学校3年生の時に曲を作りまして、こういうことをやっていきたい、と思いました。ピアノは4歳からやっていまして、中高と吹奏楽部でした。高校生の頃には、東京の先生のお宅に通って作曲を学んでいました。
―東京芸術大学作曲科で学ばれたのですね。先輩には坂本龍一さんがいらっしゃったわけですね。
そうです。坂本さんが欠席続きだった授業で、単位のため、代わりに曲を提出させた先生がいらっしゃいました。坂本さんが提出したのは万葉集の歌詞をもとにした合唱曲だったんです。それを歌わされたことがあります。これがなかなか歌えないくらい難しくて。その楽譜は回収されたのか、手元になくて。貴重な記録だと思います。
―先生は、静岡県のピアノコンクールでも優勝されていますね。大学生の時ですね。
中高とピアノは少しサボっていてそんなに弾いていなかったんだけれど、芸大の岩崎操先生のレッスンがすごく面白くて。とにかく「ちゃんと聴く」ということを教えて下さった。たとえば、ショパンのバラード1番のあの冒頭の数小節だけで何時間もやる。最初の「ド」と来て次に「ミ♭」と来る。そのドとミ♭の音の強さの具合とか音色とかがどう変わる、とかね、一つ一つとにかく音をきちんと聴いて、それぞれの音のバランスを考え抜く。それが面白くて。弾くためには、聴くことができなくてはならないというわけです。それで、その「バラード1番」を弾いたら静岡県のコンクールで優勝しました。
―先生は作曲家としても指揮者としても活躍していらっしゃいますね。

指揮をする伊藤先生
若い頃は、コレペティといってオペラの練習の時に、ピアノでオーケストラ・パートを代演する仕事があって、これがとても勉強になりました。ピアノの伴奏譜がある場合もあるけれど、それだけでは音が足りないから、オーケストラの総譜に基づいて必要な音を足していく。音楽の全体がわかっていないとならない。私自身、オペラの作曲をしますが、オペラとなると数百ページの楽譜を書きます。どんどん仕上げていかなくてはならない。で、段々と自動筆記のようになっていくんですよ。なんというか手が勝手に譜面を書いていくというような。モーツアルトもそんな自動筆記状態になっていたのではないかな、とそんな気がしました。
―オーケストラのスコアというのは、段数が多くて、それをどうやって一度に読むのだろう、と不思議です。ピアノの楽譜は大体2段ですよね。
いや、それは、オーケストラの楽譜はパレットが広い、とそんな感じですね。大体このあたり(この楽器)にメロディーを書き込むとか、そういうのは、自然とわかってくるんです。楽譜を見れば、大体頭の中で音が鳴ります。ただ、年によるのかも知れないけれど、頭の中で鳴る音と現実の音との間に齟齬が生じることもあります。
―YouTubeに先生の作品の演奏や、楽曲の分析などが上がっていますね。
最近、思い立ってシューマンの「トロイメライ」の楽曲分析をアップロードしました。大学での作曲の授業の初回にいつも取り上げているのだけれど、わずか1ページの楽譜の中に、エッセンスが詰まっているんですよ。作曲家仲間からの反響もありました。

《トロイメライ》を分析する伊藤先生(YouTube映像より)
―その分析は、大変興味深く拝見しました。
「トロイメライ」はシューマンはテンポを100と記していて、それは相当に速い。クララ・シューマンは80としているけれども、これでもまだまだ速い。結局、ロマンチックな曲だから、弾き継がれる中でテンポがゆっくりになっていったということなんです。どうもそういう傾向がある。またもともと速い曲は、時代を経ると更に速くなっていく傾向があるんです。
ガーシュインの「ラプソディー・イン・ブルー」の初演から2024年で100周年になるのだけれど、この曲は最初ビッグバンド用に書かれていて、ピアノが無くても成立するように書かれていたんです。その後、オーケストラとピアノの編成になった。で、「ラプソディー・イン・ブルー」のサビのロマンチックな部分(ミファソソーラシドレ〜)は、初演時、ゆっくりとは弾かれていなかった。それが、演奏されるうち段々ゆっくりなっていったんです。それでそのロマンチックなフレーズを脱する時に、辻褄合わせのように倍速になるような風になったんですよ。まあ、それはそれでいいのだけれど、そういう経緯を知った上で演奏して欲しいと思います。
―先生は、吹奏楽の作品をたくさん作曲されていますね。ショパンの楽曲をモチーフにした「ふり向けばショパンの調べ〜吹奏楽のためのファンタジー」という作品は、ショパンの音楽がこういう風な表情を見せるのかと、とても新鮮でした。
あれは、軽い曲なんだけれども、私は吹奏楽というのは、オーケストラの劣化版ではないと思っているんです。吹奏楽にもオーケストラ以上のことができる可能性がある。オーケストラよりも豊かな音の響きを生むことができると思うのです。
―吹奏楽の文化というのがありますね。
演奏する人と聴く人がほぼ重なっているというか。演奏する人と聴く人が分かれている、演奏しないが聴くだけの人が多いオーケストラとは違う部分ですね。浜松は吹奏楽の文化が根付いているのか、浜松まつりといえば、吹奏楽のパレード。そういう部分がありますよね。
―今後、先生は、大学での教育と並行して、どのようなことをなさりたいですか?
まず、自分の作品を整理すること。手書きだった時代のもあるので、きちんとした楽譜にするということ。これも時間がかかります。それから、歌のピアノ伴奏についての本を書きたいです。主旋律を歌が担う時、ピアノはそれを邪魔しないでどう音楽にしていくかという課題ですね。それから、コロナ禍で作曲について毎日ツイートしていたのですが、それをまとめて本にしたいと思っています。それに、ピアノを習う人たちは、ソリストになる方向にばかり向かいがちだけれど、作曲に向かってもいいし、伴奏に向かってもいい、指揮に向かったっていい。もっと多様性があっていいと思う。そういうことは伝えていきたいと思っています。

ピアノを弾く伊藤先生
―先生が影響を受けた音楽家は?
バッハとモーツアルトの影響が大きいですね。ドビュッシー以降のフランス近代音楽はあまり馴染めなくて。プロコフィエフにはアレルギーがあります。ベートーヴェンからも学ことは多いです。
―歌曲もたくさん作曲されていますね。
日本の詩は、色々読みます。やはり言語によって作られる音楽というのも違ってきますね。フランス語、ドイツ語、イタリア語とそれぞれの言語の特徴と音楽の特性は切り離せないですね。ラテン語も勉強しましたが、それも作曲に役立っていますよ。
―先生はどのようなピアノがお好きですか?
私はベーゼンドルファーとカワイの音が好きです。ベーゼンドルファーは最初鳴らしにくいと言うけれど、とても多彩な音色を持っています。カワイもそうですね。調律師によってガラッと変わる部分がありますけれど。
静岡の地で世界のピアノが作られているというのは誇るべきことで、「ピアノとウェルビーイング研究所」の活動にも期待しています。
(聞き手・安永愛)