インタビュー「ピアノとわたし」(13)

石川眞佐江先生

プロフィール

石川眞佐江の写真

静岡大学教育学部准教授。専門分野は音楽教育・乳幼児の発達と音楽。

インタビュー

―先生のコンサートチラシのプロフィールには、茨城県出身、4歳からピアノを始められたとありますね。まず、ピアノとの出会いからお話しいただけますか?

子供時代の石川先生

子供時代の石川先生

私は三姉妹の真ん中でして、母が音楽好きで、子どもにそれぞれ楽器を習わせたんですね。姉は最初ピアノをやっていて、その後ヴァイオリンに。妹の方は、ヴァイオリンをやっていました。私の方は、ずっとピアノを続けたというわけです。2歳くらいでおもちゃのピアノを弾いている写真が残っています。最初は、今で言うつくば市に住んでいたのですが、水戸に引っ越すことになりまして、その頃、ちょうど水戸に「桐朋学園子どものための音楽教室」ができて、私はその一期生として入りました。4歳の時です。ソルフェージュとピアノを同時に学びました。母は地元の短大で幼児教育を教えていました。母の同僚に竹中治利先生というバリトン歌手がいらして、その方の声楽リサイタルに連れて行ってくれたんです。そのリサイタルでシューベルトの『冬の旅』に本当に惹き込まれまして、歌もピアノも綺麗だなあ、と思って、その後、シューベルトの『冬の旅』のカセットテープを何度も聞きましたし、他の歌手の演奏する『冬の旅』のコンサートにも足を運びました。今でも『冬の旅』は大好きな作品です。

―ネットで記事を拝見したのですが「子どもと音楽の出会う場をつくる」というご論考の中で、そのことに触れられていましたね。演奏会のポスターを枕元に貼っていたと。『冬の旅』って寂しい曲調のものが多いですけど、4歳だった先生が、その曲にそれだけ引き込まれたというのは、驚きです。

何なんでしょうね。とにかく夢中になりました。そして、6歳になった時、茨城大学教育学部の音楽講座の先生で東京芸大出身の佐藤篤先生にピアノを習うようになりました。ソルフェージュの方は、桐朋学園子どものための音楽教室で続けていました。桐朋のソルフェージュの授業はとても楽しかった記憶があります。芸大の附属を受けると決めた時も、特別クラスを作っていただいたりして、後輩の長瀬賢弘くんふたりで芸大附属向けの指導を受けていました。

―先生は、東京芸術大学附属高校から東京藝術大学ピアノ科へと進まれていて、お小さいうちから、相当に練習されたのではないかと推察するのですが、どのくらい練習なさっていたのですか?

そうですね、たしかにピアノの前には長々と座っていましたね。6時間とか8時間とか。ただ、まあピアノを弾いているだけでなくて、本が好きでしたから、右手の練習している時は、左手に本、左手の練習をしているときは、右手に本、なんてこともしていました。母が働いていましたから、家には祖母がいて、祖母もわかっていたと思いますが、そういう練習でも見逃してくれていて(笑)。まあ、当時は、コバルト文庫の少女小説なんかがどんどん出いましたから、そういうのを読んでいました。姉とお小遣いを折半して新刊を買っていましたね。漫画も好きでした。実は、私は子どもの頃、病気をしまして、関節リュウマチからの眼の病気があって、学校に通えないことも多かったんです。入院することもありましたし。家で過ごせる時は、6時間から8時間くらいピアノの前に座っていたのではないかしら。そういうふうに症状はあっても、体自体は元気で。

―でも外遊びとかはなさらないで、ピアノの前にいらっしゃったわけですね。

そうでしたね。小学校4年生のとき、グランドピアノを買ってもらいました。それで、これはピアノを中途半端なことにしちゃいけないな、とちょっとプレッシャーも感じました。ピアノに関しては、姉や妹より、私が見込みがありそうだと見られている感じではあったので。

―なるほど。コンクールなどにも出場されていたのでしょうか。

ピアノを弾く石川先生

ピアノを弾く石川先生

そうですね。年に2回くらいでしょうか。ピティナのコンペティションとか、日本ピアノ連盟のオーディションとかですね。

―いかがでしたか?

まあ、そこそこというところでしたが、先生もそんなにコンクール、コンクールと勧めるタイプでもなかったので、身体のこともありましたし、マイペースにやっていた感じです。

―お教室の演奏会もあったわけですね。

そうですね。ピアノの先生の発表会と、桐朋の音楽教室の発表会と両方出ていました。

―そして、先生は東京藝術大学附属高校に進学されるわけですね。親元を離れて一人暮らしすることになるわけですよね?

いえ、ちょうど姉が4つ上すでに大学進学で上京していたので、姉と一緒に住みました。マンションに旭硝子の透明な防音ユニットを入れて、ピアノを練習していました。芸大の附属に行ったのは、大学から芸大に入るより楽だ、と聞いたからです。本当かどうかはわかりませんが・・・。東京芸大のピアノ科は定員30名で、だいたい10名くらいが附属高校から進学して、あと20名が全国から来るわけですが、確率的に考えると、芸大附属高校に入っておいた方が入りやすいと聞きました。ただ、高校から大学も結局はエスカレーターではないので、受験はどちらもきつかったです。

―先生は、高校生の頃はどのような曲がお好きでしたか?

私は、ブラームスがとても好きになりました。特に後期の小品群ですね。指導された角野裕先生に、ブラームスを弾くのだったらオーケストラを聴きなさい、と言われて、それからピアノのリサイタルよりオーケストラを中心に聴きに行くようになりました。

―ブラームスの後期の小品群は素晴らしいですが、とても渋くて枯れているというか、色々なピアノ曲がある中で、高校生であった先生が、惹かれていらっしゃったというのが、興味深いです。

大学に入ってからも、ピアノのリサイタルより、オーケストラの方をよく聴きにでかけていました。サントリーホールが多かったです。その頃、東大ピアノの会の方や、早稲田大学ピアノサークルのショパンの会の方々と知り合う機会がありました。母が群馬出身で、ピアニストの神谷郁代さんと同郷ということがあって、神谷さんと繋がりがあり、神谷さんが、自宅の東大ピアノの会の学生さんたちを招いてサロンのようなことをなさっていたんですね。多分、そこで知り合いになったと思います。皆さんピアノや音楽のことにとても詳しくて。ブラームスの交響曲4番は誰の指揮のどのオーケストラの録音がどうだ、こうだとか、本当によくご存知で、音大生の私は肩身が狭かったです。

―先生は、東京芸大の卒業演奏会では何を弾かれたのですか?

ドビュッシーの「前奏曲」第1巻です。

―そうですか。ブラームスとはまた対極のようにも思えますが、通じるところもあるでしょうか。

ドビュッシーも好きでした。基本的にはエチュードからバロック、古典、ロマン、近現代と幅広い作品に取り組む必要がありましたが、学内演奏会や卒業演奏会では自分の好きなものを選べたので。ショパンのように右手が歌で左手が伴奏、というのとは違ったピアノ曲の方が好みだったんです。あとは、学部時代の角野裕先生の影響で、連弾や二台ピアノなどのピアノアンサンブルも興味を持って、同期の友人と取り組んでいました。オーケストラ作品を聴きながらも、ピアノだけでできる表現力の幅に惹かれていたと思います。

二台ピアノの演奏会の様子

二台ピアノの演奏会の様子

―学部はピアノ科を卒業されて、修士課程は、音楽教育の方に進まれたのですね。

はい。芸大のピアノ科といっても、演奏家としてやっていける人はほんの一握りです。卒業後、留学される方もあれば、ピアノ教師になったり、室内楽奏者になったり、伴奏者になったり、そういう道に進んでいきます。私は、大学生の時に、アルバイトで子どもにピアノを教えていまして、3歳や5歳の子どもに、いきなりドレミファソラシド、って楽譜を与えたらすぐ弾いてくれるものではない。子どもが音楽に取り組むというのはどういうことなのか、そういうことを考えていましたので、修士課程に進む時、音楽教育に進もうと思いました。母が幼児教育を専門にしていた影響もあると思います。

修士論文では「乳幼児の歌唱行動」をテーマとしました。低年齢の子どもの音楽の関わりというのを考えてみたかったのです。幼稚園や保育園に通って調査をしました。子どもにとって、教科名でいうような「音楽」というのは自明なものではないですし、言葉と音楽の境目というのも実ははっきりしないのですよね。小さな子どもの事例を通して、音楽の芽生えというところを考えてみたくなったのです。

―先生の割と最近お書きになったものだと思いますが、ピティナ(一般社団法人全日本ピアノ指導者協会)のサイトに「乳幼児の育ちと音・音楽」というエッセイが掲載されていて、これは大変充実した感銘深い記事でした。乳幼児という時期に光を当てることによって、人間と音楽の関係の根源的なものが見えてくる、そういうことが伝わってくるご論考でした。先生の研究テーマは心理学や生理学、あるいは言語学、その他、学際的な性格を持っていますね。

ありがとうございます。なかなか謎は尽きなくて。

―昨日(7月5日)、東大の佐久間哲哉先生の研究室(環境音響学研究室)を見学しましたが、佐久間先生も、保育園の音環境というテーマに関心を寄せていらっしゃいますね。

保育現場の音環境は、大変うるさいところも多くて、問題だと思っていたのですが、建築学会の方々が政府に先んじる形で保育園の施設の音環境設計に関して指針をまとめてくださったのは、本当にありがたい画期的なことだと感じております。

―先生は韓国でも保育園の調査をなさっているのですね。

共同研究で、韓国の幼児教育の調査に同行させてもらいました。国によって幼児教育の在り方やカリキュラムも随分違います。日本では、子どもは元気でうるさいのが当たり前、という子ども観ですけれど、特に、北欧などでは、子どもが静かに集中できる環境というのを大切にしているんです。文化による子ども観の違いで、幼児教育の現場の音環境も随分違うのです。日本だと、子どもの声が外に漏れてうるさいから、それは何とかしなくては、という発想はあるけれど、子どもに静かな環境を与えるという発想については、遅れていますね。

―確かに言われてみればそうですね。私の子ども達は、割と園庭の広い保育園に通って、ストレスはあまりなかったようですが、保育園から小学校に上がるときのギャップというのがあるように思いました。色々な要因があるとは思いますが、例えば小学校の授業参観に行っても、別の教室からの声も聞こえてくるし何がなんだか、という感じで。「クラスの目標を決めて、標語を作りましょう」とか何とか、あまり個が大切にされている感じてはなく、いつもわっさわっさしているというのか。それぞれの先生は色々工夫してくださっていたとは思うのですが。

幼児教育では、音楽という科目はなく、領域という考え方をするので、「表現」という領域で幼児の音や音楽の芽生えを考えていますが。それが小学校に上がって教科「音楽」になった時にうまくつながっていないという問題があります。小中高は学習指導要領があって、保育園にも保育所保育指針、幼稚園には幼稚園教育要領があるのですが、接続の問題は音楽に限らずいろいろあると思います。

―先生は、静岡大学教育学部で教えていらっしゃいますけれど、学生さんはどうですか?

そうですね、割と地元から通ってくる真面目で素直な学生さんたちが多いという印象です。そして、中高で吹奏楽をやっていたとか、大学でもアカペラサークルに入ったりなど、音楽が好きな人は多いですね。ただ、逆に音楽に関して固定観念があるような気がします。自分が学校の音楽の授業や吹奏楽でやってきたことが「音楽」の枠組みのイメージになっているのでしょう。私は、学生たちに保育現場などで乳幼児とかかわるなかで、「子どもがなにを見てなにを感じているのかよく見て」と言っています。子ども達がどんなふうに感じているのか、子どもと音や音楽との出会いがどんな場面で起きているのか、そういうことを感じ取って欲しいのです。

―先生は、「子どもは風をえがく」という杉並区の幼稚園の様子を納めたドキュメンタリー映画にも出演していらっしゃいますね。

はい、観察などでお世話になった幼稚園でご縁をいただいて、そんな経験もさせていただきました。

―一方、先生は、ピアニストとして沢山の舞台に立ってこられましたね。

私は、そちらの演奏の方は、コンスタントというわけではないですけれども。

―いえ、沢山のステージに出演しておられて、そのことについても色々お伺いしたいところなのですが・・・さて、先生は、ピアノとウェルビーイング研究所のメンバーとして、今後、どのような研究をなさりたいですか?

はい、コロナ禍で、やむにやまれない代替措置としてオンラインでのレッスンや、オンラインでの合奏ということがある程度広まりましたけれど、こと音楽に関しては、オンラインと対面には大きな違いがあると思われます。では、対面でやるレッスンや合奏と比べて、どのような違いがあるのだろうか、そもそも根本的にひとが同じ場で音楽をする、ということはどのような意味を持つのか、ということを考えてみたいです。

―そういえば、SPAC(静岡県舞台芸術センター)の方も、コロナでオンライン配信をするようになって、人が劇場に集まる意味というのは、どういうことなのか、というテーマを投げかけられていました。

音楽もそうですね。一つの場で行うこと、また遠隔をつないで音楽をすることの別な意味合いもあるかも知れないですし。そういったことを考えていきたいと思っています。

―先生、今日は、貴重なお話をありがとうございました。

(聞き手・安永愛)