インタビュー「ピアノとわたし」(1)
後藤友香理先生
プロフィール
ピアニスト、静岡大学教育学部准教授。
桐朋学園大学、東京藝術大学大学院修士課程を経て、同大学院博士後期課程修了。2014年より静岡県立美術館ロダン館を会場としたコンサートを毎年行っており、2022年には同美術館で収録したCD 「ロダンをめぐる8つのイマージュ 長谷川慶岳作品集」をリリース。
インタビュー
―先生のオフィシャルウェブサイトを拝見しました。「小さい頃、ピアノは自分との対話でした」と書いておられたのが印象的でした。先生はニューヨークでピアノを始められたのですね。
マンハッタンブリッジを背景に(左)カーネギーホールにて(右)
6歳から10歳にかけて、父親の赴任先のニューヨークで暮らしました。ピアノはニューヨークに来て、6歳で始めました。ニューヨーク在住の長い日本人の先生に習ったのですが、一般的な日本のピアノ教育とは違って、いきなり小さい子どもにも、難しくても弾きたいものに挑戦させてくださいました。私はその先生のもとではバイエルもツェルニーもやっていないですよ。例えばバッハなら、インヴェンションをやってシンフォニアをやって、と段階を踏むでしょうけれど、いきなり《イタリア協奏曲》を弾くとか。私は7歳の頃に弾きました。「あなたの思いを音楽にするのですよ」と、そういう教え方だったのですね。そして、小学生でも何度かリサイタルを経験させていただきました。
―それは、後藤先生が特別に才能がおありだったからということなのでは?
いえ、進みは早かったかも知れませんが、そういう教え方だったのです。ですから、音楽というのは自分の思いを表現するものなんだ、ということを直感的に感じて夢中で弾いていました。とにかく新しい曲にどんどん触れたくて。ニューヨークにはスタインウェイのホールがあり、そこでもよく演奏させていただきました。そして8歳の時、スタインウェイのサロンで自分で試弾し、これがいい、と言ってスタインウェイのピアノを買ってもらいました。当時はまだ安かったんです。
アメリカでのコンサートチラシ(左)と当時57丁目にあったスタンウェイホール(右)
―とは言っても、大きな買い物だと思います。ご両親も思い切られたのですね。
両親は音楽をやっていた訳ではないのですが、私がピアノを学んだことで「知らない世界を見せてもらえてよかった」と言ってくれていて、嬉しく思っています。小学校5年生で帰国することになり、紹介された桐朋の先生にお世話になり、その流れで、桐朋女子中学校(これは普通校です)、それから桐朋女子高校音楽科、そして桐朋学園大学へと進みました。日本では、ニューヨーク時代には後回しになっていたテクニック的な面をやり直しつつ、直感的な面も大切に育てていただきました。大学の頃になると周りでは欧米に留学する人が多かったのですが、幼少期をニューヨークで過ごしたせいか、私は欧米に留学したいという気にはならず、とはいえ桐朋に残るのもどうなのかなと思って、日本で留学するような気持ちで大学卒業後は東京藝術大学の大学院に進みました。周りには当然、演奏ひと筋、コンクール漬けの人たちもいましたが、私の進む道とはどこか違う感じがして、研究もしてみたいと思っていました。その頃、音楽学者の前田昭雄先生の『シューマニアーナ』という著作に出会って、シューマンの豊かな音楽世界が、内面に踏み込んで研究されているのに感銘を受け、思い切って前田先生にお手紙を書きました。当時先生はウィーンのほかに大阪芸大でも教えていらっしゃったのですが、ウィーンにいらっしゃいとおっしゃってくださって、先生のお導きでシューマンの貴重な資料に触れることも出来ました。そして、修士論文、博士論文とシューマンのピアノ曲についての論文を書きました。
―「シューマンとフモールー作品18、19、20の再考察」という博士論文を提出されていらっしゃいますね。
フモールというのはドイツに独特の美的概念で、シューマンが多大な影響を受けたジャン=パウルの小説は、そうした理念が下敷きになっていると言われていますよね。作品18~20におけるシューマンの作曲技法もそうした理念が基盤になっているんです。
―先生は、シューマンの未完の小説と彼の音楽作品との関係に分析した論文も書いていらっしゃいますね。シューマンの小説を流れの良い日本語で訳していらっしゃると思いました。
以前、静大にいらっしゃったドイツ語の先生にみていただいたんですよ。
―エゲンベルク先生ですね。日本文学をドイツ語に翻訳されている方でもありますね。
私は桐朋で7年、芸大で10年を過ごして静岡大学に赴任しました。桐朋は音楽専科ですが、芸大には美術学部もありますし、国立大学ということもあってか、音楽と社会のつながりということを考えさせられる環境であったと感じています。静大で様々な専門の方がいらっしゃる中で、私の役割は何だろうとよく考えるようになりました。まず、ピアノを学ぶ過程で、作品と自分というものを突き詰め、偉大な作品のメッセージを考え抜いて演奏に磨きをかける、ということをするのですが、それだけではなく、音楽がどういう場で、またどういう文脈で演奏されるのか、またどう聴かれるのか、そういったことが大切に思えてきて、空間芸術としての音楽という捉え方をするようになりました。その頃、文化庁の文化芸術推進プログラムとして「静大アートマネジメント育成事業」というのがありまして、静岡県立美術館のロダン館を会場とした芸術イベントの企画がありました。2014年に初めてその企画に参加しまして、今まで10年間にわたって毎年ロダン館でのコンサートの企画・演奏を行ってきました。
―ロダン館でのコンサートから生まれた長谷川慶岳先生(静岡大学教育学部)の作品を集めたCD「ロダンをめぐる8つのイマージュ」が後藤先生のピアノ演奏でリリースされましたね。ロダンがフランス人であること、また長谷川先生がフランスに留学されたということも関係しているのでしょうが、フランス音楽へのオマージュが感じられる優雅で洗練された作風ですね。リリカルで透明感があって。また、あまりクラシックを聴かない方にもすっと寄り添い馴染むような音楽ですね。ポストクラシカルとおっしゃっていましたが。
長谷川先生とは教員として一緒にお仕事をしていますけれども、作品を演奏させていただく中で、普段は接することのできない、その長谷川先生の思いや人となりを感じます。私は長谷川先生の曲を演奏する時、自分を晒すようでなんだか少し恥ずかしい気がするのですが、長谷川先生も、新曲を演奏者に渡すとき、何かそんな思いがするようです。音楽を通して深いコミュニケーションができる気がします。私はアンサンブルも好きですが、一緒に演奏することでやはり日常を超えた深いコミュニケーション、魂のコミュニケーションができるように感じています。
―先生は、大学教員として教育・研究で多忙な中でも、コンスタントに演奏を続けておられて、しかも小さいお二人のお子さんもいらっしゃって、去年は保育園の父母会長まで務められたと伺って、驚異的に感じています。先生はレパートリーが広いですよね。それぞれの作曲家や曲の個性を本当に的確に掴んで演奏されますよね。
アメリカ時代に小さい頃からたくさん譜読みをして直感的に表現したいものを表現していた経験が生きているかもしれませんね。学生時代は作品と向かいあって演奏を深めていくことが第一にありました。もちろんそれも大切ですけれど今は、空間の中で、地域の中で、社会の中で何ができるか、ということが大切に感じられます。新しい試みとして、来場者がただ受動的にコンサート聴くというのとは違った企画を立ててみました。静岡ハリストス正教会を会場として、ステンドグラス製作者の方に講師を務めていただき来場者にキャンドルを作成するワークショップを行ったあと、来場者が作成したキャンドルを演奏会場に置いて、その灯りの中で歌とピアノのコンサートを楽しんでいただいたことがあります。
コンサートでのレクチャー
―素敵な経験になったことでしょうね。私も後藤先生が企画・演奏なさったコンサートを色々楽しませていただきました。例えば、同じ年に生まれた作曲者の曲を組み合わせたコンサートや、前半を古典調律のピアノで、後半を通常の平均律の調律のピアノで演奏されたコンサートや、ロダン館での朗読を交えたコンサートなど、とても印象深いです。先生は録音新技術とのコラボレーション、リサイタル会場でのプロジェクション、コンサートの動画作品化などにも意欲的に取り組んでおられますね。
静岡大学では、音楽専攻の学生のみならず、全学部の学部生を対象として教養科目「芸術論」も担当なさっていますね。
色々な専攻の学生がいて面白いですよ。曲を聴かせて、コメントを書かせるのですが、音楽専攻でない学生の視点にもはっとさせられるものがあります。クラシックに馴染みのない学生も想定して、ポップスとクラシックと対照させてみたりします。例えば星野源の「恋」とかYoasobiの「夜に駆ける」なども取り上げます。昼休み明けの一番眠い時間帯なのですけれど、割とちゃんと起きて聞いてくれていますよ(笑)。
―音楽専攻の学生にはどのように教えていらっしゃいますか?
学校の音楽教員になる学生が多いので、曲の完成度を追い求めるというより、将来一人で練習することになった時、困らないような方法、楽譜の読み方などを伝えています。
―お子さんたちもピアノを習われているのですか?
いえいえ。まだ幼いですし。それぞれ好きな道を見つけてくれるといいと思います。夫も音楽のことはあまり知らないのですが、思いがけないアドバイスをくれて助かっています。これからも演奏・教育・研究を通じて、少しでも音楽の喜びを多くの皆さんに分かち合っていただけると良いなと思っております。
―後藤先生がいらっしゃってこそ「ピアノとウェルビーイング研究所」を立ち上げることができたと思っています。今後ともよろしくお願いいたします。
(聞き手・安永愛)