今出川ハンマー製作所見学
9月20日午後、浜松市にある今出川ハンマー製作所を見学しました。今出川ハンマー製作所は、日本では唯一のピアノのハンマー製造を専門に行っている会社です。今出川ハンマーについては、本研究所メンバーで美作大学教授の高久新吾先生よりご紹介いただきました。ピアニストである高久先生は、ピアノのメカニズムに関する造詣が大変深く、ピアノの素材についても一家言お持ちで、ピアノの部品の接着剤については、ボンドではなく膠が絶対に良いとおっしゃり、また弦に触れ、ピアノの音が生ずる接点であるピアノのハンマーのフェルトの手触りは、演奏をする上でのイマジネーションの手がかりになると教えてくださいました。高久先生は、今年のゴールデンウィークに今出川ハンマーを見学され、実際に機械でフェルトを切ってきたとのことで、フェルトがピアノハンマーに成形される過程について、生き生きと語っておられました。
ハンマー製造に特化した会社がある、ということにまず驚いたのですが、確かにハンマーと弦が触れるところからピアノの音が生まれるのですから、その根本を見るのは、大切なことかも知れません。そういえば映画化もされた宮下奈都の小説に『羊と鋼の森』というタイトルの作品がありますが、この小説は、ピアノの調律に魅せられた一人の青年の成長を描いたものです。ピアノが羊のフェルトと鋼鉄のフレームから成っていることから、作者はこのタイトルを思いついたのでしょう。なんともロマンのある命名ですね。
今出川寛社長と息子さんが我々(浜松医科大学 山岸覚先生、浜松ピアノサークル代表の和田善尚さん、安永)を迎えて下さいました。今出川ハンマーは昭和12年の創業。現社長のお祖父様が創業されました。お祖父様は、河合楽器の創始者である河合小市と仕事を共にされ、ハンマー製造会社社長として独立された方とのこと。今出川寛社長は、「小市さん」と親しみを込めて呼んでおられました。私たちにとって、河合楽器の創業者は、まさに歴史的人物ですが、今出川社長にとっては、親戚か、ついこないだ会ったばかりの近所の人でもあるかのようです。初めての国産ピアノの製作に情熱的に打ち込んだ山葉寅楠に見出された河合小市。その志をそのままに引き継いているかのような今出川社長を前に、圧倒される思いでした。
今出川社長は、ピアノの歴史についての本を手に、最初のピアノのハンマーが中が空洞の木製のものであったこと、それがベートーヴェンの時代に鹿皮となり、モダンピアノに発展し、フェルトのハンマーが考案されていったとご説明くださいました。羊の毛を刈っていると、毛の一部が床に落ちます。作業場でそれを踏んで歩いているうち、水分や汗などが染み込み、かたまりが生じて行きます。それが「フェルト」の由来なのだそうです。フェルトはいわば偶然の産物なのです。ハンマーを作成するには、さまざまな長さの毛が混じり合うのが良いそうです。フェルトは羊由来ですから、当然その羊の毛質によって、その品質も変わるわけです。どのような羊の毛がどのように配分されているものなのかについて詳細を教えていただくことはできませんでしたが、ピアノと羊たちとの間に関係があると思うと、なんだか不思議な愉快な思いが湧いてきます。ちなみに、今出川社長によれば、一台のピアノに使用されているフェルトの量は、ほぼ羊一頭分くらいであろうとのことです。
今出川寛社長は、製造現場に連れ出して下さいました。ピアノ一台分のフェルトが切り出されるポーションがあり、それをハンマー一つ一つに対応する幅に機械で切っていきます。
ハンマーの軸となる木部にハンマを巻きつけていくわけです
フェルトを切る和田さん。
今出川ハンマーの工場は、思ったよりも広く、ハンマーの軸となる木材が貯蔵されている場所にご案内下さいましたが、大変な量が貯蔵されていました。それでも、コロナ禍と円安のために、木材を買い控えており、普段よりもストックが少ないとのことでしたが、誠に驚きでした。工場の一角には、美しい河合のグランドピアノが置かれていました。
今出川ハンマーの一室に、大橋ピアノという今は製造を終えているメーカーのアップライトピアノが置かれていたのですが、これが心震えるような大変に美しい音でした。浜松や磐田には、たくさんのピアノメーカーがあったのですが、次々と消えていってしまいました。消えていったメーカーの中にもこのような美しい楽器を残しているメーカーがあると知り、感慨を覚えました。
大橋ピアノ(音の美しいアップライトピアノ)
帰り際、今出川社長は、ハンマーヘッドをプレゼント下さいました。私はハンマーヘッドのマグネットを研究室用に二つ購入しました。このハンマーが弦に触れている、というイメージも持ちながらピアノを弾くと、何かが変わるかも知れません。
社長の息子さんが、記念写真を撮って下さいました。暑い一日でしたが、今出川さんのピアノへの情熱に触れ、清々しい思いで私たちは今出川ハンマーを後にしました。
(文・安永 愛)